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私と東野圭吾との出会いは過去との決別の証だった

naverwalk

この記事の所要時間約 4 分


 皆さんの中でこの本を手に取り読まれた人が何人いるだろうか…。多分この書籍で始めて東野圭吾にふれた人は過去の加賀恭一郎シリーズを読みたいと思っただろうし、数多くの東野圭吾作品を読んだ人にとっては理系出身の彼ならではのロジカルな展開に今回も舌を巻いたことだろう。しかし、私の場合そのいずれとも異なる。書評をかねて昔話をしようと思っている。

客観的にみると出てくる過去の自分との決別

 恐らく人間ならだれでも、自分で自分を客観的に見るもう一人の人間が知らず知らずに作り上げられ、その自分は自身に問いかけ、「自分のこれからの道はこれであっているのだろうか」と時には肯定し、時には葛藤しながら生きていくのではないだろうか。

 私が東野作品に出会ったのは20代の始め、ちょうどその葛藤の真っ最中にあった時だ。私はそれまで感情がすぐに表に出る人間(=分かりやすい人間)だった。自分の家族という温室では自分を客観的にみて「自分は感情的な人間だ」とはなかなか気づかない。

 しかし、親元を離れ自分を冷静に見つめる自分が作り上げられた時、感情的で人に弱いところを見せれる自分が嫌になった。よく、人間の弱いところを人にさらけ出せるのは強い人という事が言われるがそれは違う。それは私からすれば臆病で弱い人間がすることなのだ。

 私は次第に「いつも論理的で”この人何考えているか分からない”」と言われているような、冷静な人間に憧れるようになった。努めてロジカルにものを考えるようにした。表情を悟られないように必至になった。そう、私は過去の自分と決別したかったのだ。

東野圭吾の「同級生」と出会う

 学園モノの推理小説が好き…東野圭吾の同級生を買った理由だ。読んですぐに分かった、この人はロジカルにものを考える人だと。私が目指すべきものがそこにあるような気がして吸い込まれるようにその日のうちに完読した。

 そして、私も小説を書き始めた。自分の考えていることを文章に起こすことで「自分に足りないもの」がみえるような気がしたからだ。私は立て続けに3つの小説を書いた。1つの小説を書き上げるのに半年かかった。何度も推敲しては書き直し、出来上がったのが「主人公が両親を刺し殺す」という小説だった。自分で自分が怖くなった。

 過去の自分と決別するということはそれなりの覚悟と恐怖を乗り越えることなのだと思い知った。正面に向き合った壁は高く見えたが、やはり自分はロジカルに物事を考え、決して人に弱みを見せない自分、「何考えているか分からない、近寄りがたい自分」が欲しかった。

 後になって知ったことだが、同級生は東野圭吾作品の中でのターニングポイントとされる位置づけだという。トリック中心のハウダニットから人の心を書くホワイダニットに文体が変化する兆しがあったのだ。つまり彼もその小説で自分の殻を破りたかった事を知って妙に親近感を覚えた。私が同級生を読み、小説を書いていた歳が彼が同級生を書いた歳と重なるのだ。

今日のまとめ

 全然書評になっていないとお思いだろうか。私は権威者ではないので書を評価する立場にはない。ただ、自分が東野圭吾の小説「祈りの幕が下りる時」を読んだあとささやかな昔話をサイトに吐露したくなった…。それだけだ。

 …ただひとつ言えることは「過去の自分と決別することはそう簡単な事ではない」ということだ。

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