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女子フィギュア「加点という曖昧な要素」に彩られた実に味わい深いスポーツ

sochi

この記事の所要時間約 4 分


 女子フィギュア改めて「凄い」と感じた。オリンピックは特別な舞台とよく言われるが、ここまで特別な競技はないのではないだろうか…。人間がつける点数などというもので評価してはいけない、そう強く考えさせられた。

女子フィギュアは今後競技になり得るか

 今回のキム・ヨナ、リプニツカヤ、コストナー、ソトニコワ、浅田真央の演技を観て同じ舞台ではあるがそれぞれ「独特の世界観」が出ていた。そのひとりひとりの世界観をまざまざと見せつけられると「何を競うのか」という事に帰結する。

 もちろん、技術の要るスポーツに変わりはないのだが、それよりも音楽の流れに合わせた「音楽と一体になった」個々の選手たちの演技を見ていると加点という曖昧な要素を公式点として入れたくなる気持ちが分かる。

 というより曖昧な要素でしか評価できない競技ではないだろうか…。だからこそ、問題の元になってしまうのだと思うが、この曖昧な点数の付け方こそが女子フィギュアが競技になり得る最後の砦だと思ってしまう。

浅田真央のSPについて

 そう考えるとあそこまで浅田真央がトリプルアクセルに拘ってきた理由が分かった気がする。以前は彼女なら冒頭にトリプル+トリプルを入れてもいいのではないかと考えていた。残念ながらソチのSPでも拘り続けたトリプルアクセルで転倒した。

 彼女はなぜ「自分にしか出来ないプログラムにそこまで拘るのか」それはフィギュアスケートという競技の本質、加点という曖昧な要素が順位に大きく左右するスポーツだからだ。

 55.51という低い点。16位という順位。それも見方を変えれば「彼女にしか出来ないプログラム」だ。競技としての女子フィギュアに点数と順位が付けられたに過ぎない。

 フィギュアにはエキシビションがあるが、単にガーラ(演技会)と呼ばれることもある。そこに勝ち負けは存在せず、規定時間もなければ時に小道具も存在する自由な空間だ。「さあ、思う存分あなたの独特の世界観を披露してください」そういう位置づけがエキシビション。それが競技後に行われるのは実に味わい深い。

 もし今後ルール変更がなされて、加点という曖昧な部分が明確化されれば女子フィギュアは無味乾燥なスポーツになってしまうのではないかと危惧する。曖昧であるからこそ公平性に物議をかもしだす加点という要素。しかしそれでしか競技となり得ない女子フィギュアというスポーツ。ソチ五輪の各選手の滑りを見てそう感じた。

今日のまとめ

 今回のSPでまたいろんな選手が比較され、加点が多すぎるとかこんな点数あり得ないという素人の分析合戦が始まるだろう。それも正しい議論だと思う…だって曖昧なのだから…ただ「だからこそ実に味わい深いスポーツ」であることを忘れてはいけない。

 選手は引退した後、プロのスケーターとしてアイスショーなどに出る人が多い。まだフリーが残されており、競技人生が終わったわけではないが浅田真央とキム・ヨナにはアイスショーで思う存分「独特の世界を披露して欲しい」そう願ってやまない。

 
 

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